あゝ愛おしき課題曲V
前々から議題にあがっていましたが、ついに #吹奏楽コンクール の #課題曲V が来年度を最後に廃止となります。
— 吹奏楽作家・オザワ部長【公式】 (@SuisouAruaru) 2021年7月15日
課題曲が4曲になるのは2002年以来ということになります。
国内外への委嘱、小編成対応など課題曲の「課題」はありそうです😊
●全日本吹奏楽連盟https://t.co/Qd041rcPoe pic.twitter.com/RPGOJqrF9j
http://www.ajba.or.jp/sakkyokuconhaishi.pdf
え???
というわけで課題曲Vが2022年度をもって廃止されるそうです.課題曲Vは高校生以上でないと取り組めないので中学生の頃の自分にとっては憧れの存在.そんな課題曲Vが居なくなるとなるとなんだか愛おしくなってしまって深夜に書き出した.
おそらく課題曲Vの中で一番有名なのがこれ.「吹奏楽のためのスケルツォ 第2番 ≪夏≫」
なんで有名かというと,
全日本吹奏楽連盟会報182の記事の中で、「2007年の神前暁氏の制作による4人の女声のための作品を、自分の音楽によって翻訳したつもりである」という作曲者本人のコメントが載せられているが(別の文章では電波ソングとも表記されている)、この曲こそらき☆すたのオープニングテーマ「もってけ!セーラーふく」ではないか?という声が上がり、どれだけ再現しているのかという検証動画まで作られるようになった。
そう,曲がらきすたインスパイア.
この文章からこの曲はDTMや電波音楽に影響されて書かれたものであると読み取れる.吹奏楽連盟のおじいちゃんたちはエレキベースを吹奏楽コンクールから追い出しちゃうくらい頭カチカチなのでよくこの曲通ったなあ……と思ったり.
まずドラムセットが存在する時点で吹奏楽曲としてはかなり異色で先鋭的.コンクールだとこの曲以前20年以上登場していなかったらしい.ビートもプログレか?となるくらい激しく,後半にあるドラムソロは完全に野外ロックフェス.こんなソロを吹奏楽っぽい服装でやっちゃあイカンでしょ.バンドTにタオル羽織ってやるべき.
打楽器が多いのも課題曲Vの特徴で,この曲も Drum set, S.C., S.B., Maracas, Cow., 風鈴, F.C., B.D., Tri., W.B., Tam-Tam, C.C., Tamb., V.S., Cab., Chi., Xylo., Glock.と自由曲かってくらいたくさん.ドラムセットあるのにこんなにパーカッション多い曲はなかなか見ない.そして風鈴の夏要素がクールでグッド.この曲における≪夏≫は完全に後付で,1番の方にはサブタイトルが存在しない.「曲のパワーがアツいから夏!」なんていい勢いなんだ.
この曲を始めとして課題曲Vは変拍子,無調音楽の2つが特に特徴的で,普通にJ-POPをきいていては絶対に出会わない音楽たちである.
わたしが一番好きな課題曲V「きみは林檎の木を植える」.タイトルからしてかっこいい.
「もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう。」
ドイツの神学者,マルティン・ルターの言葉である.リンゴはキリスト教において禁断の果実であり,アダムとイブはそれを口にしたがために楽園を追放された.これこそが人類の始まりである.そんな知恵の実を週末に植える精神はプロテスタントを誕生させたルターらしい一文であろう.この曲の終わりも風鈴の音色の残響が美しく残る.
普段耳にしないような響きがするのは普段用いられない技法を用いて書かれるからである.この曲にはヘテロフォニー,微分音,フラジオレット(管楽器の場合のハーモニクス)など,これらの技法はすべて曲にゆらぎをもたらす.演奏する側に「こんな表現もあるんだ」と知らせるという意味でも課題曲が持つ教育的な意味というのはあるのだろう.
最も最近の課題曲V「 吹奏楽のための「幻想曲」-アルノルト・シェーンベルク讃」.Arnold Schönbergというと無調音楽,十二音技法の創始者とも言われる.まさに課題曲Vにふさわしい.
案外最近の人の方がこういう曲に対する抵抗感は少ないのではないか.なぜなら十二音技法は以外とゲームや映画にBGMや効果音的に用いられているからだ.わかりやすいところでいくとドラクエは結構これを使っている.
そう言われると上記のシェーンベルクのバイオリン協奏曲も映画の一シーンに聞こえてくる.
曲中に「ため息」の場面がある.どうも楽譜で指定されているらしい.ブレス音と聞くと私はまっさきにP.スパークの「オリエント急行」のラストを思い出す.
あれは列車の停車音の再現である.最後のホイッスルといい何かと似ている部分が多いような気も……
列車で言えば課題曲Vには意外なことにマーチが存在する.これは課題曲Vの一番最初,「列車で行こう」だ(A列車で行こうのオマージュ?).とは言っても聞いて見るとわかるがとても一筋縄で行くタイプのマーチではない.
実は課題曲Vのマーチは2曲ある.この「ナジム・アラビー」はなんともアラビアンな雰囲気で課題曲Vの中ではトップクラスに親しみやすい.これもゲームの砂漠ステージなどでアラブのスケールを用いた曲を聞いた経験が多いからだろうか.
昔は課題曲がマーチだけの年とマーチ以外だけの年もあった.中学3年間と高校3年間で吹奏楽コンクールに出る回数が一回なことは少ない.ならばいろんな曲のジャンルをやらせてあげるのが教育的ではないかと思う.課題曲はマーチしかやったことがないって生徒は日本中にいると思う.
親しみやすいで言えば,「「薔薇戦争」より 戦場にて」も外せない.確かに拍子や演奏技術としては高度だが,元ネタも存在し,それこそ映画音楽みたいという感想が出るくらいに親しみやすさがある.
ここまで色々書いてきたけど,もしかしたら課題曲Vが無くなる理由って既にかつての基準で現代音楽だったものが若い人にとっては既に新鮮味の無いものになっているからかもしれない.かつてクラシックの世界で禁忌だったことはジャズやポピュラー・ミュージックが打ち破ってきたように,音楽のサウンドは常に進化し続けてきた.先程のナジム・アラビーも異国のスケールを西洋的な編成で演奏したことにおいては革新的だったのかもしれないが,それは物語のBGMで既にやっている.十二音技法についても同様である.かつてゲーム音楽のビット数が少なかった時代は曲の雰囲気を出すためにスケールの研究が進んだために,様々なモードがゲームの世界でやられてしまっているのだ.映画音楽でも,手っ取り早く「ぽい」曲を作るにはそのあたりを研究すればよい.不気味なシーンには当然調や拍子なんて概念はない,壊してなんぼだ.
さらに,不協和音が気持ち悪いものではなく心地いいものになるまで聴衆の耳は成長した.
いろんな要因があるだろうが,今の中高生の不協和音に対する抵抗をメキメキにつけた大戦犯は米津玄師だとおもってる.課題曲V,お前米津に遅れを取っているぞ.
ロックでは音を歪ませるのは簡単だ.エレキギターなんかはそれが仕事みたいなところがある.ただ,それを吹奏楽の世界でやるのは難しい.此処から先は吹奏楽から離れてそろそろ5年になる私の憶測だが,スケールにも頼りにくい,なにかいままでとは違う新しい課題曲Vを……そういう思いが加速するごとに演奏技法がどんどん先鋭化していく.ここ数年の課題曲Vはほとんどが無調音楽,変拍子でそこに突然あまり見かけないパーカッションをぶつける,盛り上がったと思ったらあっけない終わり方をする.先程課題曲Vの特徴はその2つであるといったが,公募作品の優秀賞に音楽的な特徴がつくこと自体少々変ではないか.何がいいたいか,課題曲Vはネタ切れしてしまったのではないか.対して演奏技法はレベルアップし,作曲者も「誰もやったことをしよう!」と要求を学生にはおいつかないほど高度化しているのではないか.楽曲の高度化は炎症者の正確さを強く要求する.一音でも外せば曲は崩れ落ちる.課題曲としての役割としては正解なのかも知れないがそういう空気を孕んだ吹奏楽コンクールというのが一番苦手だ.それに,本来の楽器の使われ方とは異なる手法で書かれた楽譜は新たな発見にはなると思いますが,それを極めてコンクールという場で審査されるのが課題曲の役割なのでしょうか.実際に課題曲Vが運用されて20年ほど経つうちに様々な問題点を徐々に抱えていくようになったのではないかと思います.
私が中学生の頃に初めて課題曲Vを聞いたときのあの驚きを今の中学生は味わえるのだろうか.その役割は「秘儀III -旋回舞踊のためのヘテロフォニー」が登場したときに,「その役割を別に課題曲Vが一心に背負い込む必要はない」ということに気がついた.
ただ,そういった構造の難しい曲は完成させるのが大変な分,うまく演奏できた時のバンド全体の一体感は普通のゴージャスでクラシカルな曲よりも高まる.今回課題曲Vが無くなることを惜しむ声には曲のファン以上に,その達成感を味わった者が多いようにも見えた.何物なのか得体の知れない曲を協力して切り崩していく,そんなパワーが若い思春期の学生にあってもいいと思う.結局賛成なのか反対なのかよくわからない文章になってしまった.時代のせいなのかそれともいずれはこうなる運命だったのか.でもそうなんだ,課題曲Vってヤツは気難しいんだけど,どこか愛おしい,そんなヤツだったんだ.