Il_dialio’s diary

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インコの村へいってしまいたい「蕗子さん」

江國香織の短編集「すいかの匂い」の「蕗子さん」でインコの村は登場する.

「インコっていったん逃げたら戻ってこないんだって。逃げ出した者同士で、共同体をつくって暮らしてるんだって」

(中略)

「人間にも、そういう場所があるといいのにね」

あったらいいなあそんな場所.このシーンを読んだ最初の感想はそうだ.

発言者は話の題にもなっている蕗子さんという人だ.主人公の母親の営む下宿に住んでいる大学生で留年に留年を重ねて26歳にもなる.最終的に蕗子さんは三ヶ月の家賃を滞納して消えてしまった.主人公はこれを回想して「蕗子さんはインコの村で暮しているのだと思ったりする」として物語が〆られる.

 

蕗子さんはいじめられて落とし穴に落とされた主人公を見て仕返しに一緒に落とし穴を作ろうと提案する.相手は子供なのに二メートル近くの穴を作ろうとする.最初は主人公はこの計画に不安と快感の両方を持ち合わせていたがだんだん復讐など気が重いと感じて憂鬱な感情になっていく.妄想の中で落とし穴にはめるだけで十分であったと.落とし穴が完成された直後のことである.蕗子さんが失踪したのは.

蕗子さんがインコの村のエピソードを語ったのは落とし穴を作ろうとする直前のことであった.あまりに突飛な展開に主人公も「ずいぶん急に話が飛ぶな」と感じていた.そして落とし穴の計画を提案した蕗子さんは目を輝かせていた.蕗子さんはこの時なぜ目を輝かせていたのだろう.その理由にインコの村の哲学が見える気がする.逃げ出した者でも新たな環境を形成することが可能である.だからそんないじめっ子からは逃げ出してしまえという考えだと思っていたが,それならばなぜいじめっ子に復讐する必要があったのだろうか.蕗子さんも主人公も友達がいないようであった.いわば共同体にいない者である.対していじめっ子たちは共同体を形成する側として書かれてある.まるで逃げ出した者の集まりと言わんばかりに.インコという動物の習性には詳しくないが,この対比を見ると最後の「蕗子さんはインコの村で暮しているのだと思ったりする」というのが自然で飾らない共同体にいるようには見えないし,主人公が蕗子さんに肯定的な感情を抱いているのかも怪しく感じてしまう.

 

江國香織という作家は最近まで知らなかった.

 このツイートがきっかけで,そろそろ夏だし読んでみるかと思って手を出した.短編は十一からなり,すべてが少女の一人称視点から語られる夏の思い出話である.つまりは過去の回想で,夏という季節も相まって曖昧な雰囲気が漂っている.今日友達がカフェで江國香織の「神様のボート」を読んでいるのをSNS上で見て一番最初に思い出したのがこの蕗子さんのインコの村のエピソードである.

すいかの匂いは他には焼却炉の話が好きだ.晩夏のこの時期にちょうどいい.午後~夕方がおすすめ.