Il_dialio’s diary

ニッキノニッキ

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私ってもしかして……?(20210826)

<注>精神疾患に関する記述があります.

 

またやってしまった.下宿と実家を行き来する際に必ずやってしまうこと.忘れ物だ.今回は筆箱だ.iPadやPCがあるので作業はできるのだがペンがないとできないことも多いので少々困る.これまでもデバイスの充電器,ラップトップそのもの,教科書,イヤホンなど色々忘れてしまった.どれだけ確認しても必ず何か忘れてしまう.遠足や修学旅行で使うチェックシートを作ろうか悩む.

忘れ物が多いということは無くしものも多い.今までに闇に消えていった消しゴムなどの文具の数は数知れず,些細なものだけではなく割と重要なものも無くしてしまう.小学生のときに習字道具を無くしてしまった時は親に呆れられてしまった.自分も呆れてしまった.あんな大きいものを無くすかと.最近で一番重要な無くしものはワクチンの接種証明書だ.病院に関わることもあるので6月の頭には二回接種を済ませていたのだが,二回目に接種したときに貼られるシールがない.接種したときに受付の人に「このシールを渡すので家に帰ったら貼っておいてくださいね」と言われたのだが,証明書と一緒にファイルにしまったはずのシールがない.こういう場合はどうすればよかったのだろうか.多分迅速な対応が全てなんだろうがシールを貼るのを後回しにしていたので気づいたのはつい最近の話である.この先接種証明書が必要になった際に二回摂取したのにしていないことになると面倒だ.三回目の接種をした人というのは私みたいな人もいるのだろう.

そしてついにやってしまったことがある.バンドの練習に楽器を忘れた.正確には楽器のケースに楽器が入っていなかった.スタジオで開けたときには周囲に笑われたが自分としては気が気でない.そのスタジオから家まで片道30分以上あるのだ.結局その日は3時間ほど押さえていたので頭を下げて取りに帰った.本当に申し訳ないことをした.

こういう「本来あるはずのものが身の回りにない」というのは今に始まった話ではない.物心ついたときからそうだ.小学生の低学年の時は必ず学校に何か忘れ物や無くしものをした.無くしものを探してこいとは言われるが,私からしてみれば「無くしもの」というよりは「消え物」である.目の前から完全に消え去ったもの,まるでこの世界から別の場所へと移ってしまったかのように.だからか私はつい最近まで旅行が嫌いであった.林間学校や修学旅行の際に衣服を忘れた頃から親は私に安い服しか買わなくなった.自分もその事実を重々承知しているので旅の際は電車に乗っているときでさえずっとそのことばかり考えている.最近克服できたのは日帰りの旅行である.このご時世で遠出や宿泊が少し厳しくなったのと,京都に住んでいるので少し散歩をすれば有名な寺社仏閣をめぐることができる.多分まだ宿泊を伴う旅行は厳しい.

「忘れ物が多い」や「無くしものが多い」で調べると決まってネットではADHDの4文字がある.精神疾患の自己診断ほど当てにならないものはない.実際ADHDを名乗っている人のどれだけが診断を下されていないか,恐らく半分以上はそうではないか.臨床検査もないので自分のことについては過剰に考えがちだ.ただ,ADHDの特徴を見ると少し背筋が冷える.自分の人生の伏線回収をされているような気がするのだ.不注意,多動性,衝動性……これらはむしろ人間なら全員がそうであると思っていた.みんな集中力を保たせるのは難しいだろうし,課題は先延ばしにしたいだろうし,絶えず動き回っていたいだろうし,後のことを考えずに突発的に行動したくなるものだと思っていた.どうもそうではないらしい.

youtu.be

この映像とかまず最初の時点で「俺の部屋?」ってなった.他にも共感できる行動はあるが,勘違いしないでほしいのは,悪気があってこういう行動をしているわけではないのだが後悔はしている.自分の行動に後悔はあるのになぜかその反省を活かせない.そういうスパイラルによって自己肯定感がゴリゴリ勝手に削られてしまうのだ.

小さい頃から悩んでいたかというとそうでもない.「まあいっか」「どうにかなるわ」の精神で生きてきた.運がいいことに学校のお勉強はできた.授業中は一切集中できず,歩きまわっていたわけではないがずっと上の空か好きなゲームの妄想をしていたりしていた.人の話を聞くのは苦手だが自分で手を動かして計算したり,自分で本を読んで要点を掴むのは得意だった.似たような話だと私はマンガは好きだがアニメはそこまで好きではない.マンガを読む行為は自分でコマを読み進めてページをめくる能動的なものだが,アニメを視聴するのは完全に受動的な行為に感じる.音楽は聞くのも演奏するのも好きだがそれは音楽を聞いている間も頭の中で再演奏しているからかも知れない.話を戻すと,それなりに勉強ができたという事実は偏差値や校内順位で数字として返ってくる.一年浪人したので人より多く受験勉強をしたわけだが,浪人の一年間は偏差値を伸ばすという意味では有意義であった.受験勉強以外のことをやる必要はなかった.何でも目移りしがちな性格であり,現役時代は勉強以外にリソースを割きがちだったので逆に一点に集中できる期間がありがたかった.ただ同時に精神に変調をきたして電車に乗れなくなってしまった時期もあるのであの頃のすべてを肯定することはできない.とにかく,大学受験まではペーパーテストの出来で乗り越えられた.それに,入った大学はなんだか自分と似たような性質の人も多かったのでまあなんとかなるかと思っているが,これから先社会に出たときに,この自分の育った性質なのかもともとのマシンの性能なのか,これを矯正あるいは意識する必要は感じている.今でも普通に過ごしていると遅刻するということを強烈に意識しすぎた結果遠くでの現地集合は集合時間の30分以上前についてしまうこともある.(これはこれで強迫性の何かになりそうで怖いが)診断されるメリットとデメリットを足し合わせてまだデメリットの方が勝っていると思うからまだそういう考えには至らない.もしそうだとしても活用方法は服薬と適材適所の割り振り程度に考えたい.被害者ヅラしたり免罪符として使いたくない.あと生命保険にも入りにくくなるらしい.うーん.